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プラユキ師の「気づきの瞑想にはげむ会」レポート5

(続きです)

サルトルは又こうも言っています。
「人間は自由の刑に処せられている」
それはまさに、どんな本質≒エンゲージメントをしてゆくか、人間は選べるということです。
ペーパーナイフは本質が実存を決めているけれど、人間は実存が先にある。

私の本『悟らなくたって、いいじゃないか』は第一章 智慧の章、第二章 慈悲の章、第三章 自由の章としてあります。
智慧=it、法
慈悲=we、僧伽
自由=I、仏

智慧とはit、すなわち実存を見ることです。
現象をあるがままに見る目、すなわち正見をつくることです。正見とは悟りを得るための要素である七覚支の三番目で、名色が見分けられることです。

慈悲とはwe、われわれが共に生きること。
そして自由を選ぶのは一人一人の力でI。
この三つが三宝に対応すると思い、各章のタイトルにしました。
智慧を得て、ともに生きる人生を選ぶのは一人一人であるということです。

*****
ここで質疑応答に入りました。

(質問に答えて)
実存 果←因 
本質 果←因
瞑想的にいえば実存は三相をみていくことで、本質は世間をみていることですね。

「自分が選び取っていく」って今おっしゃった(質問内容は省略しました)けれど、その自分もいろいろあります。
未自我(反応にのまれ、流されているありよう)
→自我(アイデンティティの確立。意見、主張が持てている)
→脱自我(自分にこだわらないしなやかな自我)
脱自我のお話で、三次元ということも以前お話したかと思いますが、自分がX軸、相手がY軸とすると、その延長だけで考えずにZ軸を立てて俯瞰できるようになる。相手に引きずられず、自分の視点にこだわらず、広く衆生の益を選び取れるように。

(続きます)

生きとし生けるものが幸せでありますように。

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プロフィール

しの2012

Author:しの2012
女性。
ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいます。

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