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プラユキ師の「気づきの瞑想にはげむ会」レポート4

(続きです)

「思考」を分解してみます。
「思」……自然的思考。ぽっとわいてくる考え。無意識、無自覚。
「考」……修飾的思考。十二因縁の後半にあたる、クセによって出てきた見方にハマりこんでいる状態。

これを先の二分法に当てはめてみると、
「思」は実存。実相・法の世界をみること。「私」がなく、ただ生起している状態。
「考」は本質。世間的な発想・実践法といえる。「私は~である」はこちら。

アンガージュマン(engagement)という言葉があります。サルトルは社会参加、自分の態度の決定といった意味で使っているけれど、そういったものを選び取るのは「考」の世界になりますね。

そこから連想すると。
実存…真 (実相・法を見る)眼
本質…善 (自他の抜苦与楽)手

サルトル哲学は実存を発見することで本質、社会をよりよく生きるということをめざしている。
人間としてどのように生きるか。
実存(レゾンデートル・raison d’etre)をつかみつつ本質(アンガージュマン・engagement)をも大切にするということ。
静的なデータ、仕様をつかみつつ、動的データ、現状を把握する。

アリストテレスの二分法ではこういういい方もあります。
質料(しつりょう・ヒュレー・素材・原料)
形相(けいそう・エイドス・そのものの姿、性質)
人は絵を見るときに「絵の具を見ている」と思わず、「人物画だ。○○な人だ。」とか「この絵に描かれている風景は故郷を思い出させる」なんて考えて見ている。
でも質料を見失う、すなわち実存がわからないと自分の恣意的な部分に引きずられてしまう。
瞑想は実存を明らかにしたうえで、本質をどう生かしていくかという方法です。
実存と本質、真と善を大切にしていくということでまとめられるのではないか。
(続きます)

生きとし生けるものが幸せでありますように。

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プロフィール

しの2012

Author:しの2012
女性。
ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいます。

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