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プラユキ師の「気づきの瞑想にはげむ会」レポート3

(続きです)
(参考・後藤健太「ありのままとあるがままのちがい」)

後藤氏は問題解決に関わる仕事をしている人で、問題を解決するにあたっては現状把握が大切であるといってます。
その現状把握を「ありのまま」にとらえるのではうまくいかない。「あるがまま」に見ないとダメと結論付けているのです。
動画の解説で、「富士登山に必要なデータ」の話が出てきました。
「ありのままの」富士山のデータは、例えばウィキペディアに出ている標高や歴史です。
「あるがまま」の富士山のデータは、例えば富士山観光サイトで中継されているライブ情報です。
「ありのまま」の情報は「仕様(スペック、データ)」、過去に蓄積された静的な情報。
「あるがまま」の情報は「状態(ステータス)」、現在の様子がわかるような動的な情報。
富士登山するならば「ありのまま」も「あるがまま」も両方の情報が必要です。

しかし「ありのままの自分」を考えるとき、過去のデータにとらわれているかもしれないと気づき、今の動的な自分の状態をも知るべきですね。

もっと言うと
「本質……何があるか」
「実存……何であるか」
といえるかもね。

「実存……何であるか」を見るのが瞑想的視点といえます。
生じてきたものを見る。
心の要素が一つ一つ生じては滅する動的な状態を見てゆくのが瞑想ですから。

実体として認知する、概念化した後のものが「本質……何があるか」で、恣意的に選ばれた性質のものです。
「恣意」って「ほしいままのおもい」って書くじゃない?この「欲しいままの思い」が心のクセといえるよね。十二因縁でいえば、無明をスタートにしておきてくる無意識、無自覚な心の働きです。「見たいものを見る、見たいように見る」時に、意識は入っていない。「苦しみたいから苦しんでいる」とよく言われるような、心のクセに気づかないまま反応した結果です。
それを気付きの瞑想では五力を養い、気付くことで苦への道から脱出できるよと言ってます。
それをしないと、私たちは日常生活の中では「ほしいままの」見方でどんどん進んでいってしまうんです。

(続きます)

生きとし生けるものが幸せでありますように。
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プロフィール

しの2012

Author:しの2012
女性。
ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいます。

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