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プラユキ師の「気づきの瞑想にはげむ会」レポート1

「プラユキさんの瞑想経験者向けの会がすごくいいよ!」とお友達に勧められ、直前ではあったけれど申し込みをしていってまいりました。
ぎりぎりなのに入れていただけたのは平日の夜だったからで、人数も20人くらいのこじんまりした会。とはいえ、仕事のあとでも何とかやってくる熱意がある「精鋭」ぞろいの会といえるんじゃないでしょうか。
最寄りの駅からすぐ近くの、とてもきれいな会場でした。

今回も「伝統的ヨーガを学ぶ会」の田中さんがお世話役をしてくださいました。ありがとうございます。

最初は4~5人のグループに分かれて自己紹介と自分の瞑想体験についてお話するアイスブレイクタイム。

その後プラユキ師がいらっしゃって、手動瞑想と歩く瞑想の実習があった。
瞑想中に師がお話されるのは、いつもと同じ「いま考え事していた人、それもオッケーです。ただ気付いて、手に戻って。」「気づいて歩けば次の一歩を自分で選べる。自分はかっこよくないと思っている人でも、次の一歩をかっこよく歩ける。」「ぱっぱっと気づいていくこと。グーッと集中するんじゃなくて、手をマークにして『今ここ』に気づくこと」
瞑想に慣れている人が多いせいか進行がスムーズで、部屋の雰囲気が静かに感じられました。
そのおかげで、くたびれていた(日中は猛烈に暑かったのです!)にもかかわらず、穏やかな気持ちで手や足の動きを観察することができました。

そして一時間ほどプラユキ師による法話がありました。

例によって私のメモからシェアしたいと思います。
ただし、今回のテーマが難解だったので、お伝えしきれない部分が特に大きいと感じています。
この主題に興味を持たれた方は、ぜひ直接プラユキ師に教えを乞うてください。

******
こんばんは。
今日は一見さんお断りの会ということでね(笑)、今まであまりしたことのない話題でお話しようかなと思っています。
田中さんが用意してくださったプリントで、プラユキのツイッターでの発言が引用されいています。

「実存は本質に先立つ」の「実存」はただあるがまま。「本質」は恣意的に選び取られた意味や性質。私達は本質次元で自己認識しがち。この記事で後藤健太氏の言う「あるがまま」は実存、「ありのまま」が本質。瞑想はあるがままを把握し、意味を排除する。(7月9日プラユキ師ツイッター@phrayukiより)

「実存は本質に先立つ」というのはサルトルの言葉です。
「実存」≒あるがまま、
「本質」≒ありのままに対応します。
(続きます)

生きとし生けるものが幸せでありますように。

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プロフィール

しの2012

Author:しの2012
女性。
ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいます。

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