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プラユキ師と面談4

(つづきです)
「今さみしくないよね。この一瞬の繰り返しを死ぬまで続けたら、さみしくはならないでしょ?」
その時、この日二番目の発見があった。

今さみしいかどうかを感じてみて、さみしさが「ない」ことを確認した。
これまで私のやっていたことは逆だったんだ!
今まではさみしさに捕まって「さみしいよー」と言い出した自分に向かって、
「そのさみしさは『無常』だから放っておけばなくなるんだよ。いじりまわしちゃダメ!」と言ったり
「さみしさ自体本来ないものなんだから」とか「さみしさを紛らわせるために何かしても無駄だよ」と『理性の自分』で自分を説得したり叱責したりしてきただけで、さみしさが消えるところやさみしさがない心をよく『感じ』てはいなかった。
ということを言うと、
「『無常論』のセンセイだねえ」とプラユキ師は笑った。
何だか笑いの絶えない面談だ。

「理屈で分かるっていうんじゃなくてね、もっと『今、ここ』を感じた方がいいのよね。
そうしてもっと生命力を盛り立てることが必要なんじゃないかな。
意欲が戻ってくれば、能力があるんだから人の『役に立っ』て、さみしさがなくなってきますよ」

お部屋から送り出してくださるときにおっしゃった言葉。
「まだ活躍できるから、そんなに早死にしなくていいよ」
お守りにして、大事に持って帰ってきました。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
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コメント

人が合ったのですねえ。よかった。

余すことなく正統サティパッターナに包まれながら、ねばべきサティパッターナへの拘りが溶けていく様が、ほんとうによいなあと思いました。


>「瞑想がつらくて苦しくてたまりません」
うーん、そんなにつらいなら、やめてみれば?」
「一つの流れの中ではね。ちゃんと自分の現状に『気づいて』の上なら、それもありなんですよ。

先にご縁のあったマハーシシステムもプラユキさんとこのルアンポーティアンシステムも、大念処経威儀の部正知の部(座っている時は座っていると知り、、屈むにも伸びるにも正しく意識し、、)をひとつの型稽古に落とし込んだものだから、何歩で歩いてラベリングしてとか手を14回動かしてとか、そんなのでは全然なくて、まさに「ちゃんと自分の現状に『気づいて』」いることを経典から抽出したもので。
でも合わない型で苦しむのはしんどかったですね。。

>今さみしいかどうかを感じてみて、さみしさが「ない」ことを確認した。

これぞ心随観(怒りのある心を怒りのある心と知り、あるいは怒りのない心を怒りのない心と知る、、大心を大心と知り、あるいは小心を小心と知る、、)そのもので、プラユキさんが肥沃なタイの田畑の実りそのものに、マハーサティパッターナの実りによって、ねばべきに絡め取られた括弧つき"瞑想"からほんとに自由な瞑想へ相談者自ら気づくようそっと誘導して。

でもさすがしのさん。たった一人に瞑想は無理と匙を投げられたといっても、余りある人へのご縁でもってさらに豊かな自由への道(有情を清め心配悲泣を乗り越え苦しみ憂いを滅、、する"一道")をぜんぶ自分で見つけて歩まれて。
励まされました。とってもよかったですね。

No title

泣けました

Re: 人が合ったのですねえ。よかった。

YMさま

コメントありがとうございます。
いつも暖かい応援、ありがとうございます!

不思議なタイミングで面談を受けられることになり、一つの大きな節目になった気がします。
ここから先をどうしていくのかは、やはり私しだいで、なかなか悩ましいところです。

これからもどうぞよろしくお願いします。

YMさんがお幸せでありますように。

Re: No title

saraさま

コメントありがとうございます。
恐縮です。
プラユキさんの指導はとても暖かいものでした。

saraさんがお幸せでありますように。

こんにちは。
プラユキさんの笑顔が目に浮かぶようです。

私もやはり理性の脳が強く、気づけば自分をガチガチにしてます。
アダルトチルドレンで、考える事が幼少期から精神安定剤だったこともあり妄想がプロの域(しかも自分に厳しめ)の私には、内に向きがちな集中系瞑想はやっぱり合いませんでした。(手動瞑想は、集中はせず意識を外に向けて良いと分かるまで四苦八苦しました)

すてきなレポート有難う御座いました。
私も同じ悩みがあったので非常に参考になりました。

それからお守り‥良かったですね。
しのさんの記事で『そうそう!』となったのですが、私も面談でお守りとなる言葉を貰っていたのを思い出しました。
師のお人柄ですかね‥。

ホッとしました

私も一緒に面談を受けているような気分になり、最後にはホッとしました。いつもシェアありがとう!

No title

こんにちは。
ブログを拝見させていただきました。

私も瞑想があまりに苦しいのであれば、やめてしまっていいと思っています。自分にとって自然に取り組めることからやっていけばいいのではないかと思います。

本当にあなたにとって必要なものなのであれば、すでにダンマに出会っておられるのですから、ご心配なさらなくとも、いずれは戻ってくるはずです。私は、それが“ひとつの流れの中ではね”の意味するところのように感じました。

今、この時間に“・・・そうやって感じている自分を知る”ことも瞑想です。私は、こんな程度の無理なく取り組めることがらを大切にしています。

実は、私、「瞑想以前」というタイトルがとても気に入っています。しっかりとご自身を観察なさっておられなければ出て来ない言葉だと感じました。私もどこかで使わせていただこうかしら・・・(笑)。

気軽に、気楽に、明るく、穏やかに取り組んでいくことができることから始めることが大切だと私は思っています。

善きひと時をお過ごしになることができてよかったですね。明日は、明るく穏やかに過ごすことができそうですか?

あなたのこころが穏やかでありますように。

Re: タイトルなし

みーん様

コメントありがとうございます。
何だか他人とは思えないほど共通点がありますね。

>(手動瞑想は、集中はせず意識を外に向けて良いと分かるまで四苦八苦しました)
私も、手動瞑想の意識の解放性がつかめたら、楽しめるかもしれないという希望が湧きました。
ありがとうございます。

みーんさんがお幸せでありますように。

Re: ホッとしました

meiさま

いつもお見守りくださって、ありがとうございます!

meiさんがお幸せでありますように。

Re: No title

ItoMasakazu様

コメントありがとうございます。


> 本当にあなたにとって必要なものなのであれば、すでにダンマに出会っておられるのですから、ご心配なさらなくとも、いずれは戻ってくるはずです。私は、それが“ひとつの流れの中ではね”の意味するところのように感じました。

ありがとうございます。
そうですね、自力よりももっと大きなものを信頼していけばいいのだと何度も教えられながら、あがいては苦しんでおります。
困ったものです(笑)

『タイ佛教修学記』ではいつも勉強させていただいております。
厳しい修行をされたItoさんの「気軽に、気楽に、明るく、穏やかに取り組んでいくことができることから」はとても説得力があり、はげまされます。

プラユキさんの面談を受けてから二週間近くたちました。
朝の気分が明るくなったと思います。

Itoさんがお幸せでありますように。

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プロフィール

しの2012

Author:しの2012
女性。
ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいます。

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