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プラユキ師の瞑想実践会レポート7

(続きです)

三帰依は仏教徒のアイデンティティで、三帰依するものは仏教徒であると言えます。
そうやって態度であらわしていくとモチベーションが上がります。仏像を飾るとかもそうですね。
お経も、唱えると呼吸が整って気の巡りも良くなりますし、礼拝すると姿勢が正しくなって気持ちが落ち着く。
そういう効果はあります。
またテーラワーダのお経というのは、ブッダの視点からの教えが説かれています(大乗仏教のお経は世界観がまた別です)。
例えば「これを私は成し遂げた!在家者も出家者もこれを知れ。なすべきことと、なすべからざることについて、すべて我が意に従え――愚か者はこのように思い、欲望と慢心が増大していく」by ブッダ(ダンマパダ/法句経)のように、これを読むとブッダのものの見方にリンクできます。
だから、お経を読んでから瞑想するというのも、世界観を確認する=mapを手に入れるという意味でよいと思います。
そしてお寺の空間に入った時に心に与える効果を考えると、自宅やその一角を整えて静かな雰囲気をつくるのも、落ち着いて瞑想できてよいでしょう。

これらは波及的な効果はあるかもしれません。
しかし絶対的な条件ではありません。
師と私がアメリカで(瞑想を広める時に、仏教的な儀式を)やらなかったのは、いろいろな文化・宗教の人にたいして仏教儀式で参加のハードルを上げたくない。そして気づきの瞑想は万人に効果のあるものだから、宗教や文化に関係なく気づきの瞑想に触れていただきたい、という思いからでした。

《参考ツイート》
90年代、師僧のアシスタントとしてアメリカで気づきの瞑想の指導をした際、サティの訳に「マインドフルネス」があるのは知っていたが、覚醒のニュアンスが強い「アウエアネス」で通した。台湾では、サティの訳に「覚知」という訳が当てられた。正念正知のニュアンスが入るゆえにこれも適訳だと思った
@phrayuki 2017年8月8日

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ここでいったん休憩。

後半は実践中心ということで、15分の手動瞑想の後、全員でホール内をぐるぐる回る歩行瞑想。
この時に
「妄想していたこと、ボーっとしていたこともオッケー(確認)して、手や足の感覚に戻る、ということまで含んで、すべてが瞑想のプロセスです」
とプラユキ師がおっしゃったのが印象に残った。

妄想をしていた間は「ダメ」で、それはなかったことにしたい。
「よく気付いている」間だけが本番で、そこにしか功徳はない。
そういう分断した思考に陥りがちなのだが、苦を滅する練習としての瞑想ならば、心に何か現象が起きてそれに気づくプロセス全部が「瞑想」のはず。
あるがままを見るための瞑想なのに、あるがままを許さない発想が自分にしみついていることに気付かされた言葉だった。

その後は30分の手動瞑想。
ただ坦々と、遊びのように。
あくびがやたら出たり、(退屈……)と思ったり、いろんな思いにハマりこんだりしながらも30分。
前回よりも短く感じた。

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(続きます)

生きとし生けるものが幸せでありますように。
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プロフィール

しの2012

Author:しの2012
女性。
ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいます。

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