FC2ブログ

記事一覧

8ステップマインドフルネス勉強会4

(続きです)

ブッダは因果法則を知らないことを無知、無明とおっしゃっている。
怒らない方がいいのに、そうできないことも痴である。


仏教徒は、「行為」のことを、善い行為と悪い行為、正しい行為と間違った行為、道徳的な行為と不道徳的な行為などと呼んでいます。
ただ、こうした言葉は「行為」の本来の意味とは少し異なる意味を伝えています。最も適切なのは、おそらく「熟練した行為と未熟な行為」という言葉でしょう。
仏教は道徳の基本として「未熟な行為をすると不幸になり、熟練した行為をすると幸せになる」と教えています。このシンプルな原因と結果の法則を、「業」(kammaまたはkarma)といいます。(p58)

この部分の「熟練した行為」の熟練は英語でskillfulとあって、すごく上手なこと。一方未熟なは「まだ訓練してない状態」で下手ということ。
解脱した状態を基準としてみると、まだそこまで到達していない、unskillfulであると。
パーリ語でkusalaとakusalaを善と不善(悪ではないことに注意)と訳すのも同じ発想である。
悪で、決して改善されないというのではなく、未熟なので苦を生じているが、ここから成長すればよい。
未熟な原因(悪因)が未熟な結果(悪果)を生むし、sammā な原因(善因)がsammā な結果(善果)を生む。


ブッダは、苦しみをもたらす未熟で悪い行為を10項目あげられました。
「身体でする悪い行為」は三つあります。殺生、盗み、邪淫です。「言葉でする悪い行為」は四つで、嘘、悪口、粗暴な言葉、無駄話をすることです。「心でする悪い行為」は三つで、強い欲、強い怒り、現実の本質をまちがって理解する邪見です。(p59)

ブッダが示した基準がこれで、あとはご自分で判断して行動してください、自分を変えることは自分にしかできないから、自分でやっていってくださいねということ。

「この10の中で一番悪いのは何ですか?」

邪見ではないだろうか。
殺生は被害を受ける相手がいて、非難され裁かれるなどしてそこで完結するが、邪見は他の全ての悪業のもとになる。
邪見とは正見の反対で、因果法則を知らない、苦しみが見えていない、苦しんでいるのにこれは苦しみではないと思うことである。

「わたしたちには、生まれたときから邪見があるのですか?」

邪見(無明)があるから、生まれてここにいる。
正見をもつものは天界に生まれるという経典があったはずで、興味があれば長老や比丘に聞いてみて欲しい。
無明というのは生命の根源で、邪見は十悪の中の一つであり、無明の現われのうちの一つである。

四聖諦について

ブッダは、「私が教えたのは四つの真理だけです」とおっしゃいました。四つとは、「苦」「苦の原因」「苦の滅」「苦を滅する道」です。(p61)

これにも訳の問題があり、「苦」というと辛さ、しんどさを想像するが実際にはそれだけではなくてdis-satisfaction=不満、つねに満たされないという自分の気持ちが「苦」である。
例)苦しみ、不満、ストレス、恐怖、緊張、不安、悩み、落ち込み、失望、怒り、嫉妬、絶望、神経質、痛みなど(p62)

楽しい時でも、決して満足はしていない。
もっと~たい、この~がなくなったらどうしよう等といつも思っている。
すべてのものが不完全であること。
それを受け入れられない私たちがいて、満足しようとしてアクションをしてしまう。
身口意においてアクションがおきる。
走りだしたり、食べたり。しゃべりだしたり。考えこんだり、妄想したり。
止めようとしても止まらないことがある。
満たされたら止まるはずなのに、満たされないからグルグル回ってしまう。
ヴィパッサナー瞑想で止められるという意見があるが、それは瞬間的にそういう状態を作り出しているので、実際の生活でずっとそうしていることはできない。

苦は私たちが動く原因でもあって、善い方向に動くといい。
もっと良くなりたいという思いで行動するといいだろう。

(続きます)

生きとし生けるものが幸せでありますように。
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

しの2012

Author:しの2012
女性。
ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいます。

カウンター

ブログリンク