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アチャン・ニャーナラトーの日帰りリトリート27

(続きです)

縁起の話を先ほどしました。
お釈迦様の教えの根幹と思うことをお話しているのですが、お釈迦様のあり方は一つは智慧、一つは慈悲ということが言えると思います。

昨日から言っているのは智慧の方で、それは大変すばらしいが、受け取る方がちょっと固くなる……理屈、~でなければいけない、でもできない…というふうになるかもしれない。
ダーナ・シーラ・バーワナーのうちでシーラが重くなってしまうかもしれない。自分はできていない、他人を見て非難したい、そういうことになりがちです。
昨日は「涅槃は最高のもの。忍辱は最上のもの」というお釈迦様の言葉を紹介しましたが、そこにも言葉の限界があって「我慢しなくちゃ」「がんばらなくちゃ」と重くなってしまう可能性がある。これは西欧でもそういう傾向はあります。
苦しい、疲れる、しんどい、罪悪感、になることがある。

お釈迦様の教えは始めも中も最後まで素晴らしく、幸せにしてくれるものであるのに、受け取る側がみじめな、重いものにしてしまう。
例えれば、立派に出来上がった建物なのに、無味乾燥で花がない。

そういう時に慈悲が必要です。
私から見れば、智慧と慈悲は同じものです。一つのものを別のところから見ているにすぎないのですが。

電車の例えは智慧のものですが、そこに現れているのは全てのものを選択、条件なく出あう、そういうあり方だと思う。
正義、善悪を超えてそのものに出会うあり方は、智慧であると同時に慈悲でもある。
自分の弱さも、それもひっくるめて出会うのは慈悲であり智慧であり、それでいいと言えるのは本人しかいない。
だが、それこそがやさしさであり強さです。

patience忍辱の話をするとみんなを固くしてしまうので、それはkindness優しさでもある、といいます。
自分の弱さ、やりたいけれどもできないこと、時間がかかるときに、けんかせずに待つ。これが忍耐であり優しさです。
忍耐、忍辱という言う言葉は間違いではないのですが、そこに意図的に優しさを添えてください。

我々はともすればブッダの教えを無味乾燥にしてしまいます。
そこに慈悲をもって、花を添える。
回向もそういう、花を添えるようなことかもしれないと思います。

*****

(続きます)

生きとし生けるものが幸せでありますように。
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コメント

優しさを添えて

胸にぐっとくるお話です。
やり方を間違うと、自分を苦しめてしまう…身に覚えがありますが、優しさを添えてみようと思います。
いつも ありがとうございます!

Re: 優しさを添えて

まる様

コメントありがとうございます。
いつもお読みくださって、ありがとうございます。

私も自分をかえって苦しめてしまうことが多々あり、師のお話が心に沁みる思いがしました。
まるさんのお役に立てていたらうれしいです。

まるさんがお幸せでありますように。

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プロフィール

しの2012

Author:しの2012
女性。
ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいます。

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