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アチャン・ニャーナラトーの日帰りリトリート26

(続きです)

瞑想の時の縁起のポイントが2つあります。
1つには、渇愛にどう付き合うか。ストーリーが起きた時、電車に乗るか乗らないか。
2つめは、何が安全なのか、何が正しいのかという縁起全体への理解。
これは他人のことをどうこう言うためのものではなくて、自分を律し、自分を大切にするためのものと分かります。
縁起を見ていると、他から罰されなくても、結果は必ず自分に戻ってくるとはっきりわかるんです。

行、これはカルマといわれるものです。
伝統的には「老死」でこの命が終わって、来世に生まれる。それを信じるのか?ということは別として、ストーリーは続く、傾向が保たれるのだということです。
ろうそくと炎の例えがよく使われます。
人が死んで輪廻していくとき、並んで立っている一つのろうそくが燃え尽きて、次のろうそくに炎が移るようなものだと。(体、人生は別でもカルマは引き継がれている例え)
欲しい、いらないという思い、その燃えるエネルギーはチャラにはならないんです。
人の頭は何でも疑えるし、なんでも信じられる。
でも輪廻が信じられない時、縁起を少し思い出してほしい。

この十二縁起は永劫に続いて終わりがない……という話にはしたくないんです。
そこにサティで、全く違う立ち位置ができるということになります。

では少し坐りましょう。

*****

この日は幸い眠気はこなかったのだが、静かに観察するというレベルには程遠く、来る電車来る電車に一々乗り込んでしまい「しのちゃん鉄道全線制覇おめでとう」という引幕がかかりそうな塩梅であった。
しかし、途中で(いつも同じような妄想を飽きずに引っ張り出してる)(物語を見て気分を動かすと、身体も⦅脈や痛みなど⦆動いてしまう。でも物語は物語に過ぎない)とか、そういう観察がちらちらできた。
いつもより、なんとなくお利口にできていたのではないか。

しかし、途中で薄目を開けてみると周囲の人が全員深ーいサマディに入れているみたいに見えて、ちょっと疎外感を覚えますよね。
(出来ないの……私だけか…)みたいな。
本当はそんなことない、みんなそれぞれ電車に乗ったり眠気に巻かれてたりするんだとは思うんですが。

*****

(続きます)

生きとし生けるものが幸せでありますように。
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プロフィール

しの2012

Author:しの2012
女性。
ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいます。

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