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アチャン・ニャーナラトーの日帰りリトリート25

(続きです)

目で見たことによって意識=識が生じ、それに伴ってお酒に関する心身の反応(名色)があらわれます。
酒の広告を見た(六処→触)ことで、何か感じが起きる(→受)。お酒が好きなら、広告を見て(ああ、いいなあ)という感覚が出てくる。
そこから渇愛(酒が飲みたい)となって、取、これは執着です。どうしても飲みたい、飲まなくてはという強い気持ちになり、有「じゃあ飲もう」という行動につながる意志、それが生=行動になります。「生」で酒を買って飲む。
すると老、死、これは行動が始まって完結するところです。酒ならば飲み終わって、もうそれ以上のまない=死。ストーリーが完結したわけです。
しかしこの先は(十二因縁を円形に書くやり方もあるように)無明につながっていきます。
酒を飲んで一時的には満足しても、その行動の影響は残っていてエネルギーはサンカーラとして次の機会を待っています。
これを気づかないまま繰り返すと、飲むことをやめられなくなったり、依存症になります。

無明 avijjāとは、サティ=智慧のない状態です。
気づきがあれば入り口でのコントロールがありえますが、ほったらかし、無自覚だと「行」からずーっと最後まで進んでいきます。

今のお酒の例(貪)、「嫌だ」という感じ(瞋)でも同じことが起こります。
嫌なことがある→無自覚なままに逃げ出す→「逃げる」という傾向が残る。
嫌なことがある→無自覚に怒りを爆発させてケンカをする→「暴力的」な傾向が残る。
一時的な行動が完結(老死)しても、その傾向は残り、次に同じことが繰り返される。
輪廻を過去世・現世・来世のこととして考えると物語みたいですが、これを自分の「今ここ」での行動として考えるとよくわかるのではないでしょうか。
好き嫌いを感じないことは難しいが、感じた時にそのままではまずいというのは分かっていただけると思います。

ではどうするか。
触から受までは、ただの経験として必ず起こることです。
しかしそれが渇愛になってしまうとまずい。
それをどうするか。

キャパです。

欲しい、嫌だ、ハラハラする、感じるままに電車に乗ってしまう。
それだと幸せでない、楽しくない結果になる。それは明らかな因果です。

好き嫌いにどう付き合うかがキャパです。
ストーリーが起きた時、心を正しくもって電車に乗るか乗らないかの選択がある。
それを放ってあるのが無明です。

(続きます)

生きとし生けるものが幸せでありますように。

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プロフィール

しの2012

Author:しの2012
女性。
ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいます。

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