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アチャン・ニャーナラトーの日帰りリトリート12

(続きです)

歩く瞑想にもいろいろなやり方がありますが、タイの森林派、アチャン・チャーの指導した方法では極端にゆっくり動くのではなく、普通に歩きます。
普通に動いて、その間の自分の心を観察します。

教科書的には一本道とか決まったルートをゆったりと歩く、それもいいのですが、普段の生活環境の中で歩くことで、普段から心に触れる習慣をつけたい。
歩き方は、普通に歩きましょう。
足の動きに、軽く心を置く感じです。
足の動きを丁寧に見るとゆっくりな動作になってしまうが、そうではなく普通に歩いてください。
かといって外の物事に心が引きずられてしまうのもまずいので、足の感覚に心を置く。
(あれは何だ、これは何だ)というように取りに行かない。
また、何か感じられることとケンカしない。
歩いているうちに、いつも気になっていることが出てくるかもしれません。
それは「電車」ですから、それもやり過ごして普通に歩いてください。

*****

前回までと同じく、会場の近くにある大きな公園まで三々五々歩いて行って、公園の中をぐるりと歩く。
今回は反省に基づいて、携帯電話を持たずに来たので写真は一切ありません。

沈黙行ではあるが、歩いている最中の私の頭の中はまったく沈黙ではなく、見たもの聞いたものすべてにコメントをつけようと頑張っている。
特に文字と人には弱い。
看板や掲示が読みたいし、向うから来るのがどんな人か確認したい。

小さい子供や犬がいると、見たい。
なぜ見たいかというと、そちらを確認して(かわいいなあ)と思いたいから。
その衝動をよく見てみたら、裏打ちとして「子供と犬が好きな人は良い人だから」という価値判断があった。
面白いなあ。
私が「小さい子供と犬が好き」かどうかなんて、路上の行動から誰に伝わるというのだ。
子供と犬が過剰に好きなふりをして、自分で自分に対して見栄を張っている。
自意識過剰である。
別に子供と犬を好きでも良いし、嫌いでもいいし、どうでもいいではないか。


公園に入ってしばらくは、私の前方にニャーナラトー師が歩いておられた。
遅くもなく、かといって速くはないペースで歩いておられる。
台風が近づきつつある日で怪しげな空だったのが、パラパラと小雨が降り出した。
用心して持ってきた折り畳みを広げて前を見た。先生は傘を持っておられないようだ。

先生はゆっくりと歩いておられる。

追いついて傘をさしかけるというのは、なんとなくこの場合(女人の身でもあるし)そぐわないような気がして、やきもきした気持ちのまま、自分のペースで歩く。

先生はペースを乱すことなく歩き、遊歩道の突き当りの大きな木の下に立って雨宿りをされた。
降ってはいるがそれほど暗くない空。
深緑色の葉を茂らせた針葉樹の下に、橙色の衣をまとったほっそりとした先生が立って、眼を中空にやっておられる。
表情はたいそう静かである。
ぱらぱらと銀色の雨粒が落ちている。


私のような俗人が雨宿りするときの(えー、傘持ってないのに困ったなあ)(いつやむの?集合時間には会場に戻んなきゃいけないのに!)(濡れた足が気持ち悪い)という落ち着きのない感情は全く見て取れない。
かといって、貴い比丘は法力によって雨にあわないとか、失敗をしないというのでもない。
順境でも逆境でも気づいていること、その訓練を重ねてこられた方の静かなたたずまい。

幸い、ほどなく雨は上がった。


(参考・比丘はけっして慌てない、走らないということについて『タイ佛教修学記』のイトウさんが面白い記事を書いておられます。2018年5月28日「やってしまった談~街の中で走る」https://tekutekubukkyou.blogspot.com/2018/05/blog-post_28.html)


*****

(続きます)

生きとし生けるものが幸せでありますように。
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プロフィール

しの2012

Author:しの2012
女性。
ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいます。

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