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アチャン・ニャーナラトーの日帰りリトリート9

(続きです)

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ここで昼食休憩。
今までのリトリートの印象よりも、ずいぶんハイペースで核心的なお話が出ているような気がする。
あいかわらずもの静かなニャーナラトー師だが、いつになく語りに熱があって、引き込まれて聞いた。

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午前中は三つの大きな、ものを見る窓口みたいなもの、仏教では大きなテーマをお話ししました。そして座る瞑想をしました。
瞑想会でDoing Nothingという場合、どうすればいいのか分かりにくいとよく言われますが、今回は初めから直球を投げさせていただきました。そのあたりもうちょっとお話します。

retreatということ。
軍隊では前進の逆、撤退とか、戻ることです。
一人一人で特定の時間を見つけて瞑想する。そのとき「止まる」「やめる」。
そのときに、「自分は~である」男である、女である、会社員である、お父さんである、etcという立場・役割を、そしてDo、~することを「とまる」。
「立ち止まって考える」に近いのですが、「本気で、止まる」「止める、stopする」「離れる」あるいは「ゆるめる」ゆるめるは、締まりすぎたネジを逆に回すような感じです。
これらは、タイで説法に使われる単語を日本語訳するとこうなるのですが。

私がよく使うのが、アチャン・チャーの「電車と駅」の例えです。
我々の心は電車のようなもので、行ったり来たりする。
どんな電車も来ては止まり、そしていずれは去る。
しかしどのような電車が来ようとも、駅はただそのままにある。
単純な例えです。
しかしシンプルでダイレクトで、真実を突いています。

普段の生活は、この電車についてなんとかしようとして困っています。
アチャン・チャーはそれを「電車に過ぎない」といっている。
この例えの良いところは、思い出すことで「あ、これは電車だ」と気づけること。
そして、その電車に乗っかってゆくのか?どうするのか?ということです。
普段は電車についてどうにかしようとする、乗っかっている。
そこから、リトリートする。
=離れる。
=帰る。
=立ち戻る。
=徹底する。

なぜ徹底するというか。とはいえ私たちは電車が大好きなんです。
ともすれば瞑想でさえ電車の話をしています。
「私は瞑想ができない」とか、「私の瞑想は今どのぐらい進んだでしょうか?」とか「彼の瞑想は~だ」とか。
苦集滅道とは、電車をどうすることなのか?
「心を諫(いさ)める」という言い方があります。
洞窟に入ってしまった時、電車について惑い、電車とけんかするのか?それとも違うありかたなのか?

(続きます)

生きとし生けるものが幸せでありますように。
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Re: タイトルなし

非公開コメントをくださった方へ

コメントありがとうございます。
お役に立てていたらうれしいです!
すばらしいリトリートでしたよね。
またお目にかかれるのを楽しみにしております。

あなたがお幸せでありますように。

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プロフィール

しの2012

Author:しの2012
女性。
ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいます。

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