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アチャン・ニャーナラトーの日帰りリトリート2

(続きです)

先ほどご説明がありましたが、このリトリートの間は沈黙行です。
しゃべることは人間にとって必要なtool(道具)ではありますが、同時に、そこから問題も起きやすいですね。
分かってほしい、わかり合えない、聞きたくない……。
この二日間、それを休む、離れることで自分に触れる機会を増やしたいのです。
でもそれは、シャットアウトする、拒絶するという感じではなくて「自分の中に立ち返る」という感じでやっていただきたい。
黙っていると理解しあえないという問題はあるが、この場ではお互いに話さないことが分かっているので、大丈夫かと思います。

黙っていることで気づくことはいろいろあります。
良い事悪い事、浮き上がってくる想いに力を入れず自然に気づく機会になります。
お寺ではこれを「Noble Silence」と言います。
「しゃべるな」というと禁止、規則を破ると罰する、そんなイメージになりますが、「Noble=尊い」これをつけると人を罰する、強制するという狭い取り方ではなく、自分に出会い直す機会であるということになります。
強制されているのではなく、「尊い静寂である」という気持ちでやっていただきたい。


質問を書いた紙をこちらの紙袋にお入れください。
質問は、狭い意味での修行に関することだけでなく、いろんなことをお尋ねください。
今朝も、お寺の友人から人間関係の相談のメールをもらいました。
コミュニケーションは難しいけれど、大切なことで、避けては通れません。
生きてゆく中で、職場、家庭、全ての局面が修行ですし、その中で正しく自分に付き合うのは大切なことと思います。
修業と生活は別々であるとは思いませんので、広く普段の生活についても質問していただきたいと思います。

*****

ちょっとここで私、しのの感想を。
リトリートなどでニャーナラトー師にお目にかかったことのある方は思い浮かぶだろうが、師の物腰は大変に静かである。
さっさと歩かれるが慌てるような様子が一切ない。
また、座布団を敷いてある台の上に登られるとき、衣を丁寧に取り廻して無用に脛を見せたりはけっしてなさらない。
マイクの台も(私ならきっとやってしまうような)他のものにぶつけて音を立てるようなことはなく、コップに飲み物をジャボジャボ入れたりもなさらない。
かといって堅苦しくはない。自然に動作されるし、自然な表情で、笑む表情が少女を思わせるような(失礼ながら)可愛らしさ。

「気づいている」かどうかは、動作に出る。
それは、何か素晴らしいことが「できる」という形ではなく、不注意、不作法が「ない」ということなのだ。
そういうありかたを30年以上修していらっしゃる方を目の当たりにできる、ありがたい機会であった。

(続きます)

生きとし生けるものが幸せでありますように。
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プロフィール

しの2012

Author:しの2012
女性。
ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいます。

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