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立体視と眼識

記事「独覚の友人」にけーさんがコメントをくださったのだが、「モノが物自体として見える」感覚を味わっている人は瞑想とは無関係に、意外といるのかもしれないと思った。
そしてもう一つ興味深かったのが、けーさんも友人も立体視が得意だということ。

そういう話を「レタス」の打ち合わせでしていたら、大友さんがこういった。
「しのさん立体視できないの?
それはぜひ、練習してやってみてよ!」
「えー。私本当にあれ、苦手なんですよ。全然見えてこないから嫌になる……」
「どれぐらいやってみたの?」
「一日五分で一週間ぐらい……(いや、本当はもっと早く諦めたかもしれない)」
「それじゃあちょっと足りないかなあ。でも、うちの嫁も練習したら見えるようになったんだから、できるようになるって!一日30分は頑張ってみて。
それに立体視の仕組みって、ニミッタと同じだから、あれが見えるとニミッタへの理解も深まる」
「そうなんですか!?」

ニミッタはサマタ瞑想で集中が深まってきたときに視覚で感じられる兆候で、光であったり明確なヴィジョンだったりする、そうだ。
星のような瞬きや眩しい光、あるいは幼いころに見た景色がタイムスリップしたように眼前に広がったり、貴い御仏が目の前にありありと見えたり。
もちろん、私は見たことがありません。

瞑想にかかわりがあると断言されたら、そりゃやらないわけにはいかないでしょう。
「わかりました。帰りに本屋に寄ります」

立体視

というわけで早速買ってきた。
「初志貫徹!!今回は見えるまでやり抜くぞ!」
こういう気合が執着になって良くないんだよねー、と思いながら「やり方」を読んで、いちばんやさしいところから始める。


あ、見えた。


拍子抜けするほどあっさり、指定の画像が浮き出て見える。
おほほほほ、私にも見えましたよ!

見えたのはうれしかったが、立体視も「見えてみればどうってことはない」んですよね。
大友さんがニミッタと関係があるといったのは、ペラペラの紙一枚の上の図像がくっきり立体になることと、何もない空間に何かが見えることの共通性という意味だったのだろう。

しかしこれ、思えば普段の視覚だって根拠がないと言えばないのである。
自分が見ているものが、本当は紙一枚ではないって、どうやったら断言できるの?
普段見えているものは聴覚や触覚と連動して、いきいきとリアルで魅力的だけど、それが「自分の感じている刺激」であって、外にそれに相応するものは、本当はないかもしれないのである。
それを考えると、見えている事自体に違和感が出てきて、ぞわっとなった。

自分の右手を見ても、知らない生き物の部品みたいに見える。
握って開く動作が、初めてみるような薄気味悪さ。

瞑想しているときに見ているものは「闇」だと思っていたのだが、そんなことはなくて、ただまぶたの内側を見ているだけだと分かった。
あるいは、角膜の上を流れるごみの影とか。
そういう刺激は間断なく生じていても、脳の方で反応しないから闇の中にいるように思っていたのだ。

以上の二つが、まとまらないが、立体視ができるようになって数日間の間、違和感を手掛かりに「見えた」こと。
今はもうすっかり鈍ってしまって、「見えている」ものが「ある」と信じて暮らしています。

まだ立体視やってみたことのない方、一度お試しになってみてもいいのではないでしょうか。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
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プロフィール

しの2012

Author:しの2012
女性。
ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいます。

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