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レタス第一回マインドフルネス瞑想ワークショップ6

(続きです)

さっきの坂井さんの話の「受容」。
自分のありのままを受容する、と口では言っても「立派になりたい」「立派に見られたい」「立派であり続けたい」……そういう心があるから嘘になってしまう。
むしろ「怖いから嫌だ!気になるものは気になる!」と正直に言っている人の方が性質(たち)がいいかもしれない。

仏教があると、安心します。
こんなやり方があるんだ!と感動する。
特にテーラワーダ仏教はロジカルですごい。
頑張って修行するほど効果を実感するし、そうすると「疑」が減ってくる。
修業していくうちに仏教への帰属意識が強まるし、そうすると「仏教さえあれば大丈夫!」と思うようになる。
これが罠です。

まあしかし、こんなこと初心者には言えませんけどね!!

今回の参加者は皆さん上級者だし、我々はこのことについて考え続けなくてはいけないと思います。

瞑想中は思考を「止める」のではなくて、思考から距離を置いて「自分はこう考えているな」と気づいて、感覚と切り分けるんです。
もちろん、思考を停めるやり方も最初は大切です。
思考のない状態のクリアな感覚も味わってほしい。でも、そこにとどまってしまうのは大きな罠です。
「思考を止めれば苦がなくなる」というのも戒禁取で、その「思考を止めた」状態で自分は世間とうまくやっていけるのか、よく見るといいと思います。

「自分はあるがままでいい」という中にも欲があるのに気付く。
何か良い事を考えた時、自分の中にある違和感に気づくこと。
恐怖に対してあるがままにある、というのは、恐怖にただ気付いて戻る、その愚直な繰り返しになるのだと思います。

*****

(ここから坂井氏の話)

さて、今の大友さんの話をもっと分かりにくくしちゃうかもしれません(笑)。
恐怖がある、それに「そのままでいい」と受け入れようとする心の中には「本当は恐怖をなくしたい」という嘘がある。けれどもその心を「そのままに」見てゆこうとする……と、これは受容じゃなくて新しい制御じゃないでしょうか?
自分を受け入れようとする心の中の受け入れたくない心を受け入れようとする心の……無限の制御になってしまう。

普段、普通にこんなものだと思ってやっていることの中に制御がしみ込んでいるんです。

「あるがままに見よう」というワークショップに行く「あるがままじゃなさ感」、どうですか?
本来、そんなことを気にせずに生きるのがあるがままじゃないの?
でもそれがわかりにくい。

そういう時には、体を見るんです。
制御しているときには、体のどこかがこわばっている。
受容しているときには、力が抜ける。

これは、意識を集中して自分の中の「無くしたい心が見えました!」というような話ではないんです。

(続きます)

生きとし生けるものが幸せでありますように。
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プロフィール

しの2012

Author:しの2012
女性。
ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいます。

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