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レタス第一回マインドフルネス瞑想ワークショップ5

(続きです)

その中に、先輩から比丘として心構えを問われたことに戒禁取があったそうです。

比丘は戒律として二二七戒を守りますが、戒を守るときの心が戒禁取になっていませんか?と先輩に言われたそうです。
「これさえやれば大丈夫」という気持ちは戒禁守ではないか?与えられたものにしがみつく心だと、それは戒禁取ではないですか?
戒禁取と疑と有身見を滅すれば悟り=預流果だといわれる。
では、今悟れていない以上「戒禁取とは何か?」「今の自分のどの部分が戒禁取なのか?」を自分に問い続けなくてはいけないのではないかと。
O比丘は、以前は出家して清浄な生活に入り、瞑想さえしていれば答えは与えられると思っていたが、その瞑想『さえ』が戒禁取だという指摘を受け、ショックを感じられたそうです。

「人間とは何だ」「世界とは何だ」というような疑問―ある種青臭く、根源的な疑問を四六時中持ち続け、与えられる答えを求めるのではなく、自分で自分にチャレンジし続けなくてはならないのではないか。

言われたことだから、良い事だから、経典に書いてあるから、ただやる。それは間違っているとお釈迦様も経典で指摘していたと思うのですが、そうなりがちです。
「自灯明・法灯明」という言葉を最後にお釈迦様は残された。
そうあろうという努力は比丘だけでなく私たちも必要ではないかと考えさせられたお話でした。

*****

しのさん、ありがとうございました。
この時は急だったし、仕事も入っていたのにその時間だけばっちり空いて、うまく会えたんですよ。
そして自分にとって驚きのある、とても重要な話がきけた。
こういうことがあると、なんていうか、動かされているというか……。
我々が個人の意思で何か成し遂げるのは不可能なんです。
見えるものや見えないもの、様々なものに囲まれて動かされていることを意識したほうがいい。

(続きます)

生きとし生けるものが幸せでありますように。

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コメント

カツを入れられた気分です

ちょうど最近問いを生きるということについて考えていました。座禅や瞑想を始める少なからぬ人が私と同じように、それを続けていき、あるところまで達すれば問いは自然と解け、そこから先は悩みや不安や恐怖などないパラダイスに違いない、だから今がんばろう!と思っているんじゃないかな。でもそう思っちゃ駄目だなんて。。。仏道って茨の道だなあ、でもだからこんなに面白くて飽きっぽい私が飽きないのかもしれません。

自分の中にいくつかずっと持っている問い、それは座禅さえしていれば解けるということではないのか。確かにブッダは「自灯光」と仰ってますもんね、そして、そうするための法を残された。なんだかカツを入れられた気分です、しのさん、いつも貴重なレポートありがとうございます!

Re: カツを入れられた気分です

meiさま

コメントありがとうございます。

最近のmeiさんのブログをずっと拝見していて、いい雰囲気だなあと思っていました。
こちらの方こそ力づけられていて、いつもありがとうございます。


>でもそう思っちゃ駄目だなんて。。。仏道って茨の道だなあ、でもだからこんなに面白くて飽きっぽい私が飽きないのかもしれません。
私も聞いた時には「全然安心できない」という厳しさにびっくりというかガックリというか。
でも確かにおっしゃる通りで、私も相当飽きっぽいのですが(ジャズ喫茶ブームは完全に終わりを迎えました)、まだ全然飽きる気がしません。
気長に法友としてお付き合いください。よろしくお願いいたします。

meiさんが、お幸せでありますように。


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プロフィール

しの2012

Author:しの2012
女性。
ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいます。

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