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レタス第一回マインドフルネス瞑想ワークショップ4

(続きです)

私たちは生まれてから死ぬまでずーっと制御して暮らしています。
寝ることも、食べることも、全て制御です。
でもほんの少しだけそれが緩むことがある。
それが受容です。

例えていうなら、制御が光とするなら、何かが光にあたった時にさす影、それが受容です。
受容が単独で存在しているものなら、受容する努力というような言葉がありうるでしょうが、受容が制御のすき間のようなものであるから、それを起こし得るかもしれない条件は、制御を緩める工夫という言い方がより近いものになるかもしれません。
受容する努力は先ほどのような、さらなる制御を生んでしまう可能性があります。
だから、私たちが推奨しているのは、制御の仕方を工夫すること。その上で受容が生じるのを待つこと、です。
そこは向かっていくゴールのない状態です。
そもそもゴールに向かうことは制御の内部の話だからです。

*****

坂井さん、ありがとうございました。
じゃあ次、「戒禁取(かいごんしゅ)」って知っていますか?
ざっくりいうと、しきたりや儀式などにこだわることです。

預流果(よるか・最初の悟りの段階)になることは全世界を支配する王になるよりも偉大であるといわれますが、「有身見(うしんけん)・疑・戒禁取」が無くなると預流果になったということです。

有身見は、「自分がいる」「これは自分の体」「私は私だ」みたいな感覚です。
でもよく考えてみたら、自分の体のどこが「自分の本質」なの?
「ボールペン」がここにあるけど、キャップとか軸とか、芯もインクとプラスチックの管とペン先が合わさってて、それらがバラバラになったらもう「ボールペン」は成立しないでしょ?
私たちも「私」という言葉で、一時的に存在する現象を概念としてまとめているだけなんですよってことです。

で、「戒禁取」について最近とても考えさせられることがあったので、そのお話をしのさん、お願いします。

*****

しのです。
先日、タイから一時帰国されたO比丘とご一緒に面会するとき、戒律上女性と二人きりにはなれないということで大友さんに同席していただきました。
その時に出たお話です。

「出家前にも瞑想を中心に修行されていたけれど、出家していわばプロになって、何か変わったことはありますか」という質問を大友さんがされ、比丘が答えられました。

(続きます)

生きとし生けるものが幸せでありますように。
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プロフィール

しの2012

Author:しの2012
女性。
ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいます。

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