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レタス第一回マインドフルネス瞑想ワークショップ3

(続きです)

《制御と受容について》

「修業する」というのは、新しく学ぶことですよね。
外から刺激、情報を取り込んで、自分を能動的に変えてゆく作業です。
マインドフルネスでは「ありのまま」が強調されています。
「無常・苦・無我」は真実であり、これを変えることはできないのだから、修錬で何かを身に付けてこれを克服しようというのは矛盾しているのではないか、という疑問が、坂井さんと私が「制御と受容」について考え始めたきっかけです。

この「制御と受容」という二項は様々な現象に適用できることに気づいたので、我々が研究したことを皆さんにシェアしたいし、その理論を使って楽になっていただきたいです。
坂井さん、「制御と受容」についてお話してもらっていいですか?
お願いいたします。

*****

坂井洋介です。
制御と受容の話になると際限なくしゃべってしまいそうなんですが……(笑)。

さっきの大友さんのパニックからの回復過程に似ている体験が私にもあります。
私の強迫神経症の中に、加害恐怖というのがありまして。一般的な加害恐怖とは違うかもしれませんが、
自分が何か他の人にひどいことをしてしまうのではないか、というイメージが頭の中に浮かんで恐ろしくなるという症状です。
これを克服したのですが、まず気づきで加害するイメージの展開を一時停止することに成功しました。それで少し楽になったのです。完全に症状を消したのではないですが、一時停止がかけられることから安心できる一定の時間を得たわけです。
その時間を使って、「あるがまま」というコンセプトを様々な角度から勉強していきました。

そのとき一番衝撃を受けたのは、ある強迫神経症に関するホームページを読んだときです。
そこには「こんな(強迫神経症が治る!というような)ホームページを探しているからお前は病んでいるんだ。こんなホームページを探す心の働きが心を苦しめているんだ(大意)」と書かれていたんです。

強迫神経症的な部分は、健康な人にもあるのですが、わざわざ苦のイメージを掴んで、わざわざ自分を苦しめているのが障害なんですね。
ほんの少し良くない、不完全な部分がある。それを完璧・完全な視点から見て責めてしまう。そして苦しむ。
しかも、その苦しんでいる状態に対しても不完全性を見て完全になろうとさらなる苦しみを増やしてしまう。
不完全を完全にしてやろう!という過剰な思いを私たちは「制御過剰」の状態と考えています。
だから、マインドフルネス等がうたう「あるがままの受け入れ」つまり「受容」が特効薬になりえると思います。

問題は、受容を説明する言葉をそのまま制御に変えて、さらなる制御過剰をよぶこともできる点です。

例えばマインドフルネスでは「汚くても、恐くても、苦しくてもそのままでいい」というのですが、それを読んだ人は一生懸命(そのままでいよう)とするわけです。ではなぜ「そのままでいよう」とするの?というと、実は、それは「治したい」からでしょう?そういう時のその(そのままでいよう)では、受容の増大という心のバランスにはつながらないんですよ。

恐怖する自分に対して「あるがままでいい」という時に、その「あるがままでいい」という心の中には(こうすることで恐怖をなくしたい)という計算、つまり制御が含まれているんです。
だからその時にいくら「あるがままでいい」といっても、心のバランスの悪さは完全には消えません。
真実の受容が増大しているわけではないからです。(もちろん、これだけでもすんなり受容が出来てしまう人もいます。)

(続きます)

生きとし生けるものが幸せでありますように。
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プロフィール

しの2012

Author:しの2012
女性。
ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいます。

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