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因果論の練習問題

人参の面取りをしていた。

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ステーキの付け合わせについてくるあの形は「シャトー」というのだが、貧乏性なのでシャトーまではいかない、ただの面取りである。
右の切り分けた人参の角を細ーく、削り取ってゆく。
削った切りくずは皿にとっておき(あとでレンジして、マヨネーズであえて食べる)、きれいになったのは鍋の中へ。

いくら料理が好きでも、自分だけのためにこんな面倒なことはしない。
友人から、いい肉をもらったから食べに来ないかとお誘いがあったのだ。
持つべきものは金持ちでモノをくれる友人であると吉田兼好も言っている(『徒然草』百十七段)。
「なにかお手伝いすることはあるかしら?」
「しのさんはお料理がお得意だから、付け合わせを何か作ってくださらない?」
というわけで人参のグラッセとマッシュポテト、ゆでたブロッコリーは私の担当になった。

一切れに対し、扇形の断面と長辺、あわせて9本の辺を削る。
普段やらない作業だから、はかどらない。
手がはかどらないと、思考がはかどる。
(これだけがんばって作ったんだから、ほめられちゃうよねー。しのさん、とっても美味しいわなんて……。お代わりされたらどうしよう?やっぱりもう一本分作った方がいいかな)
ピピ―!はいストップ!

ここ、因果論の間違いやすいところですねー。

「丁寧に人参を処理する→自分が評価される」
これ、因果が成立してませんから。

私が苦労して面取りしているのは、私が苦労して面取りすることに決めたから。
誰もそんなこと頼んでいません。
面取りが嫌だったら、スライサーでマリネサラダにしてもいいし、軟らかく煮てポタージュにしてもいいんです。「付け合わせ」をリクエストされただけで、人参のグラッセじゃなきゃ許さんとは言われてない。
それを「ここで一つ、いいとこ見せなきゃ!」と力んで面取りするのは私の『我』なだけ。
それは因果じゃなくて我欲。
因果の線上に「他者の評価」は存在しません。

似た話を思い出した。
内観で、「お母さんにしてもらった事・して返したこと・ご迷惑をおかけしたこと」を調べる課題の時に、よくやる間違い。
「お母さんにお返ししたことは、私が小学校の時に頑張っていい成績で(あるいは運動会で等)賞をとって、お母さんを喜ばせました」

これ、うっかり得意がって言うと
「自分が頑張って勉強や運動や、何かを修錬したことは自分のためにやっている。
それをお母さんは喜んでくださっているだけで、何もお母さんのためにはなってはいない。
勘違いしてはいけません。それはお返しではありません。」
と指導されます。
頑張っている動機にお母さんが本当にあったとしても、それを喜ぶかどうかはお母さんの事であって自分のことではない。

同じように、人参を丁寧に処理するかどうかは自分の問題であって、食べる人の問題ではない。
では正しい因果とは何でしょう。

(続きます)

生きとし生けるものが幸せでありますように。
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プロフィール

しの2012

Author:しの2012
女性。
ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいます。

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