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そこにあるピーティ

プラユキ師の瞑想実践の会の翌日が、つきじ瞑想会だった。

つきじ瞑想会にはだいたい遅刻してゆくことにしている。
いくら法友方とご一緒とはいえ、二時間半瞑想するのは私にはつらすぎる。
頑張ればできなくはないが、頑張りたくない。
なのでゆっくり行く。

瞑想会に行く途中、入り用なものがあったのでデパートで買い物をした。
地下出入り口を抜けて地下鉄乗り場にむかっていたら、突然ピーティが来た。

ピーティすなわち多幸感である。
根拠なく楽しく幸せなあの感じ。
視野が明るい感じになって、体の重さが消え、ふわふわする。
顔が勝手ににんまりする。
いい感じだけど、でも、なぜ今?

妖精とか天使もこういうふうに突然、予想外の時に現れるんだろうなあ。
コントロール不能の感覚。
脳内麻薬の分泌か受容体の感度向上が偶然起きたのだろう。
昨日の瞑想会でいい感じになったのが尾を引いているようだ。

瞑想上級者はこれ、座って定力を上げるとくるらしいのだが、私の場合なぜか日常生活中に起きることの方が多い。
(瞑想中は幸せじゃないんだね……と自分でツッコんでおこう)
なんとかヴィパッサナー瞑想とピーティを私なりに紐づけようと、歩いている感覚をよく観つつ気持ちよくなろうとしたのだが、ちょっと難しかった。
だって、とても幸せだったら足の感覚とか、どうでもいいと思いません?

足の感覚に注意を分散させたせいか、ほどなくピーティは姿を消した。
残念。

残念ではあるが、「何もせずに幸せを感じる」経験を久しぶりにして、少し考えた。
無努力性、ということだ。
幸せとは基本的に「何か努力の結果として与えられるもの」と思って暮らしてきたのだが、本当は何の努力もなく、そこにあるものが幸せなんじゃないの?とピーティを感じて思ったのである。

嫉妬や怨恨、欲望や物足りなさ、そんなものを四六時中、心の中にポップアップさせて生活している私だが、実は幸福感もそういうものと同じように四六時中感じられる、そういう境地があるんじゃないの。
そんな仮説を、今回のピーティを感じて思った。

幸せは求めて得るとか、なるものじゃなくて、ただそこにあるんじゃないの?

この仮説については、引き続き考えていきたいと思います。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
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プロフィール

しの2012

Author:しの2012
女性。
ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいます。

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