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プラユキ師のアーナパーナサティ実践講座おさらい会8

(続きです)

心を水に例える話があります。
色が付いた水が貪
湧きたって白く濁る水が瞋
わだかまって藻がはびこっている水が痴
これらは、水を通して中を見ようとしてもよく見えません。

透明な水が念
安定して波立たない水が定
清潔な澄みきった水が慧
落ち着き、自由な心ならそれを通していろんなものがよく見えます。

どのような心であれ、よく観ることが大切です。

「貪」は欲に関わることとイメージされますが、誘引する、引っ張り込む力ですね。引力といってもいい。
「瞋」は嫌悪や怒りに関わるイメージですが、これは反発する力。斥力といえます。
この二つはどちらも、あるがままでいられない心、どうにかしたい心です。
「痴」はその周囲をいつまでもぐるぐる回っているイメージですね。

これら「貪・瞋・痴」が起きた時、そのままに観てください。
それらから生じるプロセスを見るのです。
「貪・瞋・痴」は智慧を深める素材なので、反発する必要はありません。
純粋な好奇心と探求心で観てください。
それが、智慧と慈悲の出所になります。
集中力で叩くとか押しつぶすといったものではないのです。

また「貪・瞋・痴」がどのように出てきたかを観ることも、チッタ・サンカーラ縁起の洞察にもなるし、それらが消滅する様子を見るのは第四の観察につながってゆきます。

このように(9)心に気づくことができれば、(10)~(12)のような観察ができて、心をほんとうに対象化することができるようになってきます。

そうすると、「状態をつくろう、状態を変えよう」という心が落ち着いてきます。
私たちはある状態をつくりたい、ある状態に変えたいといつも思っているが、観察して真実を観ることで、このような心が落ちるという機序があります。
ある特定の状態をつくるというのはサマタ瞑想の最高の目標でもありますが、、ヴィパッサナーはそこからも自由でいられるということです。

*****

ここで第三の瞑想の実習。
そして少しの間休憩。

*****

(続きます)

生きとし生けるものが幸せでありますように。
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プロフィール

しの2012

Author:しの2012
女性。
ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいます。

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