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プラユキ師のアーナパーナサティ実践講座おさらい会7

(続きです)

私たちの機能にすぎないものが私たちの主となり、私たちを突き動かして反応・行動を起こし、「自我」を作り上げてゆく。
それを観察することで一つ一つ解体し、ハマりこみから外してゆく。
「心の奴隷」から「心の主人」になってゆく過程と言っていいのかもしれません。

『無我』も机上の空論やある種の理想論ではなくて、「こうやって、すべては現象として起きていたものを一つのまとまりとして、自我として構成していたにすぎないんだ」と気づいてゆく。
今この瞬間瞬間に気づいてゆくことを続けてゆきたいと思います。

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ここで10分休憩

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第三の観察(心 citta への気づき×4考察)の実践
(9)息を吸いながら、心cittaに気づく(aware)。息を吐きながら、心に気づく。
(10)息を吸いながら、心cittaを満たしていく(satisfy)。息を吐きながら、心を満たしていく。
(11)息を吸いながら、心cittaを安定させていく(steady)。息を吐きながら、心を安定させていく。
(12)息を吸いながら、心cittaを解き放っていく(release)。息を吐きながら、心を解き放っていく。

ここで観察してゆくのは、どちらかといえばポジティブな心の状態です。
第二の観察までをやってくると、自然とこのようなモードが生じてくる仕組みになっています。
瞑想行をやれば、自然と心はそうなる性質を持っています。

今テキストとして用いているのは『アーナパーナ・サティ・スートラ(出入息経)』ですが、『マハー・サティパッターナ・スートラ(大念処経)』にはこのポジティブな心だけでなく「貪・瞋・痴」の観察も大切にするよう説かれています。

これまでの生活で培われた性質が生じてくるのは不都合なことではなく、自然なことです。
これに対してさらにイメージや感情を重ねず(自分が怒っていることに対してさらに怒るなどせずに)、それをそのままに受け止めることです。
ここで出てくる「貪・瞋・痴」は今ここでできたというよりも、十二因縁によって作り上げられたもので、その反応を「念・定・慧」の対応に変えてゆくのが大切です。

(続きます)

生きとし生けるものが幸せでありますように。

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プロフィール

しの2012

Author:しの2012
女性。
ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいます。

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