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プラユキ師のアーナパーナサティ実践講座おさらい会6

(続きです)

さて、「(5)息を吸いながら、喜悦 piti を感じる。息を吐きながら、喜悦を感じる。」というところがありますが、初心者はなかなかそうはいかなかったかもしれませんね。
しかしそれもOKです。
喜悦がない、快ではない、それも一つの受だからです。
ここでは、あるがままを素直に感じることです。
つらい気持ちだからダメということはありません。

しかし、不快にハマりこむ必要もなくて、「足の痛みがなくなるまで頑張るぞ!」と無理することはありません。
「心頭滅却すれば、火もまた涼し!」とかね、念の力で痛みをなくすとか、頑張らなくていいです。
体の痛み苦しみには適切に対応して、足をずらして苦痛が和らげば、そうやって変化してゆく受を観察すればいい。
アーナパーナ・サティでは、あるがままをあるがままに観ること。そして瞬時に苦しみを滅することが大切です。

ただここで、喜悦ピーティや安楽スッカを感じられるのは大切なメルクマールポイント(転向点)でもあるんですよ。
「ただ座っているだけで、こんなに簡単に幸せになれる!」ってことなんです。

普通の人はお金があったらとか、いい仕事についたらとか、素敵な恋人がいたら、いい車に乗れたら、幸せだと思っている。
でも、ただ坐るだけで幸せになれちゃうんですよ。
幸せは外側に求める必要はないんだ、そういうある種の直感が起きて、とても楽になります。
しかし、こういう安楽な境地にとどまりたいっていう新しいハマりこみの罠にもなるんだけどね(笑)。

安楽、喜悦も一つの現象としてただ観察すること。
また、不苦不楽受を明晰に見ることも大切です。
苦受・楽受ははっきりしているし執着も強いけれど、不苦不楽受をきちんと見ないでボーっとしてしまう、ふらふらしてしまうことも起こりがちです。

第二の観察も第一と同じく、気づく~静めるというプロセスがあります。

先ほど「あけわたし」といいましたが、しがみつかないこと、ただ観察するのが静める方法です。

*****

このあと実践。
座る瞑想のあと、アーナパーナ・サティにもとづく歩く瞑想もあった。
普段の歩く瞑想と違って、プラユキ師の声掛けも少なく、皆自分を観察しながら歩くせいか静かであった。

*****

(続きます)

生きとし生けるものが幸せでありますように。

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プロフィール

しの2012

Author:しの2012
女性。
ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいます。

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