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プラユキ師のアーナパーナサティ実践講座おさらい会5

(続きです)

ここからは第二の観察、感受の観察をやっていきます。


第二の観察(感受 vedanā への気付き×4考察)の実践
(5)息を吸いながら、喜悦 piti を感じる。息を吐きながら、喜悦を感じる。
(6)息を吸いながら、安楽 sukha (楽受)を感じる。息を吐きながら、安楽を感じる。
(7)息を吸いながら、(受を起点とする)心の形成プロセス citta sankhāra に気づく。息を吐きながら、心の形成プロセスに気づく。
(8)息を吸いながら、(受を起点とする)心の形成プロセスcitta sankhāraを静める。息を吐きながら、心の形成プロセスを静める。

今日は実践中心でできるだけ長く瞑想の時間をとってありますので、解説はポイントだけ。
感受は十二因縁に出てきます。
外界の対象が六根にぶつかると、眼は形、耳は音、鼻は香…と感じます。
その刺激によって心に何かが起きます。
そこに起きる快・不快・中性の反応が「(感)受」です。
苦受(ドゥッカベーダナー)・楽受(スッカベーダナー)・不苦不楽受(アドゥッカマスッカベーダナー)という分け方もします。

受はよく見ると、瞬間瞬間に生じ続けていることが分かります。
我々は受に先導された反応・行動を起こしがちなんですね。
受に連動してイメージや想念もわいてきます。
そうして無意識に、我知らず生じるものによって「自我」を構成して悲劇の主人公になってしまうこともあります。
(※悲劇の主人公=自分は悪くない、外の世界(条件・縁など)に原因があるとする思考)
受に注目することは、このような陥りやすい罠、「今ここ」ではないことが原因だと思い込むこと、消耗して報われない苦しみから脱するために大切なことです。

受とは「今ここ」で瞬間瞬間に自分の中で起きる現象であり、それを見ることで「外」の原因を求めるという間違った見方から逃れられます。
これは、責任を自らに取り戻すということでもあります。

そして、受と受に関連して起きてくるものを「見る」、客観視することができれば、ハマりこみから脱し、「自我」を生みだす前に食い止めて、自由を得ることができます。
(※十二因縁に関する解説を参照のこと)
受を見ること、それは苦のサイクルにハマるか自由を選ぶかの分岐点になっています。

受は瞬時の現象であって、そのもの自体は「悪」ではありません。
私たちが生命としてサバイバルしてゆくために大変役に立つ機能なわけです。
例えば焚火をしていておしりに火が付きそうになる。「熱い!」と感じて飛びのくことで、やけどを避けられます。
痛みもそうです。これは危ないかな…と考えこんだりせずに、ヒューリスティック(応急的)な判断をして不都合を素早く避けられます。

しかしヒトは進化し、社会化し、行動も複雑化してきたので、受の快・不快のみに従って生きるとかえって不便、不都合が生じるようになりました。
また、身体だけでなく人間には心の感受があります。
いつでもイメージや記憶を持ち出して、快・不快を感じられるようになりました。
それゆえに、今ここにない不快をくりかえし感じることもできるようになりました。
また、[時間]の概念によって、未来への不安、過去への後悔という苦しみも味わうようになりました。

「今ここ」を観察することで、この(悪いものではない)機能を使いこなし、活用できるようしてゆけます。
受の快・不快をみることで、自らのこだわり、うまくいっていない所を見つけ、修正し、ハマりこみから自由になれます。

(続きます)

生きとし生けるものが幸せでありますように。
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プロフィール

しの2012

Author:しの2012
女性。
ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいます。

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