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プラユキ師のアーナパーナサティ実践講座おさらい会3

(続きです)

「【質問】『自我を完全に手ばなす』という感覚がよくわかりません。それはどのようなものなのでしょうか?何かに集中しているときに起きる没我の感覚でしょうか?それとも瞑想しているときにおきるなにか特別な状態なのでしょうか?」

ここでは、はっきりと「そういうものではない」と申し上げておきましょう。
「自我を手ばなしてゆく」とは「あるがまま」に戻ってゆくことで、人間の本来的な状態に戻るということです。
特別な状態になることではないんです。

はっきり言ってしまうと、本来「無我」なんです。
でも私たちは日常的、世間的に「世界の中に自分がいる」と思っています。
が、これは心の中で縁起的に作り出されたものにすぎません。
瞑想することでより明晰になってゆき、その仕組み(参照・十二縁起)を見抜いてここから解放されていく。
集中によりできる(つくり出す)精神状態ではありません。

「我」というものを解体していって、ありのままの世界にかえってゆく、そんな感じと理解してください。


アーナパーナ・サティでは段階を追って一つ一つの現象を観察してゆきます。
我々は『我』のフィルターをとおして産物、作られたものを見ています。
これらのコンテンツ、イメージをつくり出したものをよく見てゆく。
すると、欲や感覚、思考などによって「自我」をつくり出していることが分かり、そのプロセス、メカニズムを見抜けるようになる。
そういう作業をこれからしてゆきます。

ブッダは大般涅槃経で「自らをよりどころとせよ」と説いていますが、この「自ら」とは自我ではなく、「私」を作り上げている四つの構成要素を観察してゆくこと、見抜くことなんです。
そういうことで「自我」からの視点、自我へのハマりこみから解放されて「無我」の視点を得ることができる。
ありのままに見ることで「無常・苦・無我」が見えてくるということになります。

我々はいろんな視点で世界を見ることができます。
「自我」の視点から見ることも悪ではなく、現実世界を生きるのに役立っています。
しかし瞑想を通じてよりこまやかに現実を見ることができるようになり、より良いコミュニケーション、対応が取れるようになれば、それもまた現実の生活に還元されるということになります。

*****

では資料をご覧ください。
アーナパーナ・サティ実践講座、今回初めて受講する方いらっしゃいますか?(何人か手をあげる)。
これは一日でやるようなものではないんですね。
本来一生かけてやること、ライフワークです。
だから、今日やってみてプリントに書かれている通りのプロセスで進まないとか、うまくできないとかあっても気にしないでください。
一生かけてやればいいんですから。

(続きます)

生きとし生けるものが幸せでありますように。
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プロフィール

しの2012

Author:しの2012
女性。
ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいます。

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