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マインドフルネスワークショップ@青葉台2

(続きです)

「制御」と「受容」の話をします。

マインドフルネスやヴィパッサナー瞑想はこの二つの要素のバランスを取ろうとするものなんです。
しかしプラクティス、練習の内容によっては片方の要素を強調することになるので、一つの体系の中で言っていることが、一見矛盾するように聞こえてしまうことがあるんですね。
ある人に「Aしろ」と指示したすぐ後に、別の人に「Aするな」と指示することが起こりえます。

今日は「対象は何でもいい」というあたりを中心にやっていきたいと思います。

「思考」「雑念」というラベリングは、他の身体感覚に対するラベリングと等価です。
また、具体的にラベリングが付いていればそれでOKです。
これは、今回のワークショップでは集中=制御を目的とはしていないということです。

何かご質問がありますか?

「【質問】他人をジャッジしないって不可能じゃないかと思うんですが?」

そうですね。ジャッジを一生しないことは不可能です。
普通の生活でジャッジしないことはありえませんよね。
「信号が赤だ」とか「このりんご、腐ってる」とか。そういう判断をせずに暮らそうとすると危険です。

しかし、ジャッジの前に、一番最初に起きるのは身体感覚なんです。
たとえば「人込みで突っ立ってタバコを吸ってる人を見て、腹を立てる」とします。

最初はそういう人がいるのを「見た」それだけです。
「見た」ということについては、ジャッジはしてないわけです。
「見た」の次から、いろんな判断が生起してくる。
「こんなところでタバコを吸ってる」「邪魔だ」「非常識だ」とかね。これらについては「考えている」というラベリングが付けられますね。場合によっては「腹を立てている」「怒り」「非難」」とか。

起きたこと(タバコを吸っている人が存在して、それを見たということ)には手の付けようがない。
今できることは「~と思った」「~を見た」などと「気づく」ことです。
「邪魔だ」という思考=ジャッジが起きたことに気づくだけで、そこからどうするかは自分が決められます。
ただ、そういう思考が「浮かんだ」ということに対しては、ジャッジしない。

逆に、他人を許すこともそこからしか始められないんじゃないでしょうか。
自分が、その人に対して腹を立てている、ムカついている、そういうことを認めずに押さえつけておいて、その人を許す……。
できるとは思えませんね。
体験と、そこから生じた自分の感覚を否定せずに認めるのが「ジャッジしない」ということです。

(続きます)

生きとし生けるものが幸せでありますように。
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プロフィール

しの2012

Author:しの2012
女性。
ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいます。

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