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プラユキ師の「因縁/縁起について学ぶ会」11

(続きです)

「【質問】手動瞑想の手の動きには、どんな意味がありますか?」

ないです(笑)。
たぶん、先生はこう動いちゃったんだと思います。
昔の映像を見たことがあるんですけど、もっとこう、カクカクした動きだったらしいんですよ。それにラベリングがあったり、今とは少し違ったやり方をしてたみたいです。

私としては、とてもうまくできたアクションだと思っています。
大切なのは、「気づいているかどうか」。
電車に乗っているときに指先を動かして指動瞑想しても、皿洗いの手の動き、掃除でも気づきの手がかりになります。
意味の世界から自由な形であるのは、良さであるかもしれませんね。


「【質問】サティを入れるのは受が生じてから渇愛になるまでの間だといわれたことがあるのですが」

それはまったく間違いではありません。
私はよく、先ほど言ったように苦のサイクルからサティによって分岐するというような言い方をします。

また、サティを二つに分けることもできるかもしれませんね。

◎不放逸(アパマーダ)なサティ
監視する念、気付きです。悪いものに行かず、良いものを取る働きのサティ。

◎あるがままに観るサティ
「変化させる」という意味合いの薄い念。渇愛に変化することも又そのように、あるがままを見ている念。これは、放逸ではありません。

私はサティを「入れる」ではなくて「伴わせてゆく」という表現が好きですね。これは感覚的なものですが。

七覚支でいうと、気づき、念があれば択法(ちゃくほう)がおきます。これは、吟味する、選ぶという働きです。

「入れる」だと力動的ですよね。サティの力でねじ伏せるみたいな。
私はサティというのは見守るもの、守る、伴うものというイメージがあります。
私のニュアンスとしては慈悲につなげるというのがあって、受容性、見守る、共感、そういうふうに気づきの力を活用したいと思っています。


(続きます)

生きとし生けるものが幸せでありますように。

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プロフィール

しの2012

Author:しの2012
女性。
ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいます。

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