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瞑想リゾート

その週は、私にしてはごたついていたのだ。

のほほんと隠居した生活を送るつもりが、徳が足りないので積むためにボランティアしたり、いっちょかみな性質のせいで頼まれもしないイベントの企画をしたり、人に良い顔をしたいから予定外の用事を引き受けてしまったり、結局自分で自分を苛んでいる。

予定を入れる時には、その予定を入れる以外に選択の余地はないとおもうのだが、終わると疲れていて後悔する。
自分で10出来ると思うことを6くらいにしておけば、自分も他人ももっと平穏に暮らせているはずだ。

そんな一週間が終って、朝。
瞑想しようと坐った。

心が。
心がうるさい。
想念が渦巻いていて、心はぐるぐる回転している。まるで洗濯機の脱水に掛けられてるみたいだ。
そういう自分の状態に気が付くのは一瞬で(本当に秒針が動くのも見届けられないほどの間)、ふたたび脳内では「私」が言い訳をしたり説明をしたり演説をしたりしている。

こういう状態から離脱するために座っているのに、思考と連想が止まらない。
体が静かな分、心の働きだけで自分が疲弊させられているのがよくわかる。

そこから一歩退いて、呼吸だけを感じられればピーティに行けるという知識はあるが、その呼吸にうまくつかまれない。
サーフィンやスキーの初心者のようにひたすら転んでばかり。


(やっぱり生活があわただしいとダメなんだよね。ああ、まとまった時間、瞑想だけしていたい)
え、しのちゃん、今なんて言った?


あんなに瞑想ができない、瞑想は苦痛ばかりだって言っていた人が、「どこか静かな場所で瞑想できればなあ」ですってよ、奥様!
変われば変わるものですな。

その瞑想は結局「結跏趺坐でする考え事」とほぼ同じことだったが、「瞑想ができれば、休まる」という体感が自分の中にあると分かったのが面白かった。
これ「瞑想できないから、ダメなんだ」とはベクトルが違うんですよ。お分かりいただけると思うんですが。
できない瞑想でも、続けて無駄ってことはないみたいですね。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

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プロフィール

しの2012

Author:しの2012
2012年から仏教を学び、ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいます。

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